病識の欠如と通院拒否の対応

10月家族会勉強会 講師 慶應義塾大学医学部精神神経科 水野雅文先生

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 さて、今日は家族会から「病識の欠如と通院拒否への対応」というお題を頂きましが、これは大変重要な問題です。この問題でお悩みの方も多いと思います。そこで、まず病識の欠如について申し上げますと、これはご本人が病気であることを認識しているかいないかの問題で、欠如は認識していないということです。

 通院拒否の現場は、そういう現場をしっかり見ているのは私たち医師より、むしろ皆さんの方がより詳しく見ているものと思います。そこで、今日は多くの参加者がお見えですので、まず皆さんの方で体験なり、どんな形で病院に行かなくなってしまったのか、あるいは現在の窮状といった問題をお聞きしながら皆さんと一緒に考えてみたいと思います。どうぞ、お話いただけますか?

Aさん、Bさん、Cさんの体験談

 皆さんのお話は本当に切実であること、聞けば聞くほど難しい問題であることがわかります。私からどんなコメントを差し上げてよいか迷います。とにかく病識の問題にしても通院や服薬の問題は皆さんそれぞれケースバイケースで事情が異なります。ですから一括してこの問題を語ることは困難なことだと思います。今日の題目をじっと考えていまして、きょうは皆さんに一つだけ申し上げたいことがあります。

 通院拒否の問題で、通院しなければならない人が拒否することは当然困ることですが、この言葉の中にはご本人の困ることもさることながら、病気が長くなってきますと家族の側の焦りとか、あるいは不安の裏返しとしての通院拒否への怒りとかやるせなさ、漠然としたいやな予感とかが積み重なってきて、通院をしなくなると大変なことだと、薬を飲まないことなんてとんでもないこと、といった心理がどうしても出てくると思います。

 さきほどの意見を述べていただいた方たちには、お薬が届いていたりいなかったりしていますが、仮に症状と呼ばれるものがあっても、つまり幻覚、妄想があっても、通院せず何の薬を飲まずに活躍している方、充実した人生を送っている方、他人に迷惑をかけずに生活している方、いっぱいいらっしゃいます。

 こうした実情がすべて病識のなさが原因かといえばそうではありません。恐らく人間とは病気にかかったとき、大部分がそうした反応を示すものではないかと思います。

 他の病気の場合と同じように通院拒否とか服薬拒否といった問題は極普通のことだと捉えることができます。それ自体についてあまりびっくりしたり、目くじらを立てることではなくて、いったいなぜ通院しなくなったのか、いやになったのかをゆっくり考えてみる必要があると思います。

 これは最近新宿東メンタルクリニックの三浦勇太先生がまとめた論文がありますが、病気が長くなると、ご家族が患者さんに向けて発するいろいろな感情、表情とか、言葉とかが高くなってしまうことがあります。

 さて、もうひとつの問題であります「病識」についてどう考えるか、お話してみたいと思います。病識と一言で言いますが、何か症状に似たような計れるようなものがあって、この人は病識は結構あるとか、ないとか、というように使いますが、よく考えてみると病識とは病気についての認識あるいは知識という面があります。

 もうひとつ大切なことは、病識に従って行動できるということです。自分は病気だと判っていてもお薬を飲まない方もいっぱいいます。皆さんも身に覚えがあるかと思いますが、でもこれはお薬飲んだ方がいいんだ、あるいはお薬の性質を知って続けて飲まなければいけないんだ、という認識、ここは行動を起こすというまた別な段階の話になってまいります。

 病識について、大きく分けてこの三つくらいの側面があるものと思います。うちの子は病識があるない、ということで病識がないからダメなのよ、というのではなくて、少し切り口を変えて、ほかの人がそうだったらあなたも病院へいきましょうよ、とかお薬飲みましょうよ、というようなやり方が大切だろうと思います。

 お薬も液体の薬もありますし、最近は液体の中にもアルミのパックになっていて、先を切るとそのまま飲み口になるような、水薬になったものとかもあります。

 お薬を飲むことは、その方、あるいはご家族の人生を豊かにするためのひとつの手段であると解釈してください。通院していればとか、何とか通院させたいとかではなくて、果たして何がその治療の目標なのか、どういう部分を薬物療法に頼りたいのか、通院の意義を見出せるのかをよく個別にお考えいただいて、それを目標達成させるような形での通院を勧めるということが大事であろうと思います。
(概略表示につき終わります)

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編集後記

▼「病識」この言葉は精神障害の世界以外でも使われているのだろうか。他の病気の科目でも病識があるとか、ないとかの論議がなされるのか。いずれにしても、精神の世界ほど、この言葉がキーワードとなっている科目は他にないだろう。あるおかあさんが主治医から「息子さんは病識を持てば治ったも同然だ」といわれたそうな。全くその通りだと思う。

 精神の病について他の病気との違いを上げれば、まずこの病識の問題であろう。いかに病識を理解してもらうか、これが精神の患者さんを救う最大にして最良の方法であろう。しかし、これができない。

 今回の作業所見学会の中でも同じ話が出た。病識を持ち、薬を服薬管理し、自らの身体を労わる生活ができること。それが最も精神障害者の人生を豊かにすることであると。

 しかし、これはやはり理屈上の、あるいは机上の論議である。まず、精神障害者本人のことを論じる前に、両親はどうなのか、兄弟は、親戚縁者はどうなのか。本当に家族が患者と共に病識を感じて、自信を持って生きているのか。

 いや、きつい表現になってしまった。それは、精神障害のもう一つの特徴である、「治る病気」でもあることだ。なるなら、伏せて治って欲しい、そんな感情が我々親たちにないだろうか。そのユレが患者たちの病識に邪魔していたら、誰が何をどうすればいいのか?