「自立を支える家族と社会の役割」

5月家族会勉強会 講師 目白大学人間社会学客員教授 元全家連専務理事 滝沢武久さん

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【はじめに】

滝沢武久と申します。私は11歳上の兄が病気になったことがきっかけで家族として、またソーシャルワーカーになって、いわゆる治療者側の立場もかねて精神科病院やリハビリセンターで活動してきたのですが、どうも日本の医療、行政、福祉の中に私の求めるもの(具体的に社会復帰に役立つもの)がないなと思い、25年前ヨーロッパの精神障害者の問題に目を向けました。ですからヨーロッパで見た精神障害者の自立生活という話もさせていただきます。

 また、最近、精神障害者の医療・福祉に関するキーワードに「退院社会参加」・「自立」がありますので、本日のテーマと絡めて話します。それから、本人と家族の関係は一定の距離があったほうがいい、それをどういう風に作っていくかというのが家族の努力目標でもあり、今後の家族会の運動のテーマではないかと考えております。そんな風に本日のお話を組み立てました。実は、明日は兄の17年忌です。若い方から見れば昔の精神医療に伴う非常に苦い体験を聞いていただくことになります。

私は、その後本当に多くの精神障害者や家族と接してきました。たくさんのお医者さんと出会い、議論をし、要望もしてきました。今日は私の兄との関係を踏まえながら、およそ40年の間、日本の精神科医療関係者との付き合いの中で、精神医学論理自体が、また私の考えや兄の生活態度等がどのように変化したかということもあわせてお伝えできればと思います。それが、本日のテーマにある、「自立を支える家族と社会の役割」を考える手立てになるのではないかと思います。

【本の紹介】

 私は二冊の本を書きました。『こころの病と家族のこころ』は、約15年前に私が外でお話した私の内面史のことをまとめたものです。それまでは精神の病気や障害については、専門家であるお医者さんの医学知識を前提にしか語られていませんでした。ですから多くのご家族やご本人がその影響を大きく受けます。その受けた側の立場に立ったものの見方や本音があまり語られていないと思えたので、私が母校の大学で、そうした体験をお話したものをまとめました。

 もう一冊の『精神障害者の事件と犯罪』は、あの池田小事件の後、マスコミ報道との関係などの影響を考えてきたことをまとめたものです。なぜあえてこれらの本を世に出したかというと、あまりにも多くの精神障害者および家族の方が、「精神医療」という名の下にその幻影におびえる生活しているということを、私自身も感じましたし、また、その精神医学や精神医療の考えが変わってきているということも同時に皆さんにお伝えしたいと思ったからです。本日もできるだけ客観的な分析を含めてお話をし、その中から皆さんがヒントになることを得ていただけたら幸いだと思います。

【精神障害者家族体験から】

 兄は日本の古い精神科医療を受けた人間です。兄が入院した群馬県の精神科病院には当時の刑務所や動物園と同じように鉄格子がありました。兄が精神科病院に入った後に徐々に私のものの見方、この病に対する見方が変わりました。私が育った時代には、結核ですら患者の家の前は鼻を詰まんで息を止めて駆け抜けろ、と言われていましたが、今では結核は怖い病気ではありません。目や耳が不自由な方に対しても偏見のある時代でした。精神病も同様です。

【家族が知りたい3つのこと】

 家族会の集まりで、「親亡き後の心配」が話題になる時に、家族が何を望んでいるかを聞くと、よく「病気を治してほしい」と言います。「元に戻るんでしょうか」「社会でひとりでも生活できるようになるんでしょうか」と。私はいろんな本を読み、勉強してきましたが、精神分裂病に関する診断の規準は勿論ありますが、治療の技術や方法論は実は薬以外本当に少ないのです。それに大変悩まされました。私はずっと疑問を持ちながらソーシャルワーカーとしてやってきましたが、疑問というのは疑うということではなくて、精神医療関係者が私たち家族や本人にどうしろ、こうしろと言うことが、果たして本当に私たちができることなのだろうかと思っていたのです。

【精神障害者を支える福祉制度・社会資源について】

 兄からアパートや仕事を探すように頼まれたものの、見つかりませんでした。兄も病院から履歴書を山ほど送ったけれど結局その時は仕事を見つけることはできなかった。その頃、身体障害者雇用促進法があって、身体障害者の働ける「太陽の家」という日本の大企業がかかわっているような工場があった。ところが精神障害者の福祉法はまだなかった。身体障害者の福祉法に基づいてヨーロッパの精神障害雇用促進法のように作られたのが「身体障害者雇用促進法」なんです。

【私のソーシャルワーカー体験から】

 私は全家連の仕事と、保健所と民間医療機関と社会復帰医療センターに勤めた経験があります。社会復帰医療センターはリハビリテーション施設です。例えば、脳の病気で体が麻痺した場合に機能を回復するためのリハビリといったら分かり易いでしょうか。では精神科のリハビリテーションとは何でしょう。これが皆さんが願っている精神科の病気を「治してくれ」とか、「親が死んだらどうするのか」という質問の答えとなりうるキーワードなんです。

【ヨーロッパ諸国で見た精神障害者】

 私は25年前にイギリスに映画を撮りに行きました。イギリスの精神障害者がどんな社会生活をしているか。病院はどんな治療をしているのか、を知りたくて。昭和43年にWHOから日本に派遣されたクラーク医師が出した7項目の勧告の中に、日本の医療を入院中心から地域へ出て行く形に改めなかったら精神病院が一杯になってしまいますよ。という提言がありました。それが本当にそうなってしまいました。私はそのクラークさんにお会いしてからイギリスに行きました。

【自立を支える家族と社会の役割】

 家族は何をするべきか、本当は家族会なんてなくていいんです(笑)。お父さんたちだって定年退職して家族会やってるんでしょ?本来なら海外旅行をしたり、ゲートボールで遊んでいたはずなんです。私は昭和53年に、川崎であやめ会という家族会の人たちと一緒に政策として通所授産施設を作りました。今では全国で1500箇所に及び、医療関係者もそれを利用するようになりました。行政も政策として通所授産施設として制度化しました。それまで医者は、家族が引き取るしかない。家族がアパート探しをしなさい。としか言えなかったんです。治しきれないのにネガテブな診断をし続けているのです。それが精神医学や精神科医療の限界なのです。今ではWHOの障害分類などは「生活機能分類」となり、生活上の不全状態を分類しています。

 最後に、スポーツ、レクリエーション、文化活動を本人がやることもいいことですから推奨してほしい。働かざるもの食うべからずというだけのような古い考え方では、働かない者がそんな風に遊んでいていいのかと思われがちですが、それは例えば医療システムの中ではデイケアと呼ばれる、診療報酬制度でお金が払われる仕組みとなっています。

 病院のデイケアもいいですが、地域の作業所やデイケアもいいですよ。治ったか治らないかというときには何が治ったか、若い頃や病気になる前の働きまでいかなかったとしても、それなりの自立した社会生活を送れることで治ったと思っていいのではないでしょうか。ほどほどのゴールを目指すのがいいという風に、家族が考え方を変えていく必要があるかもしれません。その上に自立が具体的になってくる。すると社会でもそういう形で自立できればこの病気が治ったとみなされるようになる。

 NHKで放送された北海道浦河の「べテルの家」の活動は皆さんご存知だと思います。昔はそこでも患者さんたちが集まって何かをやるなど考えられないことでしたが、今は病気・病状があることを前提にして地域が当事者を受け入れ、地域で産業を起していて、今度は当事者中心に、みんなで全国大会を開催して700名もの人を集めるまでになっている。中には症状の時々出るが、生活保護を受けながら各地の障害者福祉活動や専門家に体験などを交えて公演をして、きちんと旅費と講演料をもらっている方もいらっしゃる。

 家族の目指す完璧なゴールであろう就労、結婚とは少し違いますが、これも立派な自立と言えるでしょう。要するに何とか社会生活をしていればよいのです。少しテーマから外れたかもしれませんが以上で私の話は終わります。

滝沢武久さんの著書(書店にてお求めください)

「こころの病と家族のこころ」\1650 中央法規出版

「精神障害者の事件と犯罪」\1600 中央法規出版

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 うっとうしい梅雨だが、これも恵みの雨と解釈すれば、なんとなく受け入れられる。雨よ、もっと降れ!ダムを腹いっぱいに満たしてくれ!

 さて、そんな梅雨空を吹き飛ばす如く、今号の講演記録は増ページの内容となった。滝沢さんの一言ひとことはソーシャルワーカーとしてだけではなく、当事者を抱えた家族ゆえの言葉として我々にグサリと響いた。

 例えば冒頭から・・「多くの精神障害者および家族の方が、『精神医療』という名の下にその幻影におびえる生活している」・・「その精神医学や精神医療の考えが変わってきている」・・これは私自身常に感じていることであった。これまで、「精神」と言うと恥ずかしい、誰にも言えない病気であった。そして、難解な病気であると。しかし、精神医学も研究が進み、医学的な捉え方から心理学や人文科学的な捉え方と、他の病気にはない広い見識で語られて来ている。

 また、滝沢さんは日本の精神医療の「症状安定」を目標にした伝統的診療方法?に苦言を呈している。そしてリハビリの充実を訴え、就職・あるいは結婚と、人間として生まれた者の基本的な幸せまでを考える医療にすべきだと。

 この辺が医療側(国の政策)とユーザーである当事者・家族との対立点であることも、私自身常々感じていたことだ。そして、最後に「家族の役割」として、それを改善するのが「家族」である、と結ばれた。日本の精神医療の特質と問題点を見事についていると思う。