「日本の精神医療の歴史と桜ヶ丘記念病院75年間の歩み」「入院か、通院か」

新宿区後援・12月新宿フレンズ講演会
講師 桜ヶ丘記念病院院長 岩下覚先生

ホームページでの表示について

 25年位前から2001年の春まで、新宿フレンズ家族会で隔月にお話していました。ネットのホームページで講演録をみたところ、最後は2004年の2月で、今回、久しぶりに伺ったわけです。

 私は昭和55(1980)年に大学を出ました。今は2年間の初期研修でいろんな科を回りますが、私の頃はすぐに精神科に入りました。しかも1年間だけ大学で研修して、2年目に民間の病院へ行きます。私は昭和56(1981)年に当時の桜ヶ丘保養院(現桜ヶ丘記念病院)に出向しました。そこで、今年で34年目になります。

 1つの病院に長くいるので定点観測というか、日本の精神科医療が政策や流れの影響を被るのがよく見える。その歴史を通して、精神科病院に入院している方の生活や状況をお話しします。

【明治~戦前の精神科医療】
 明治の頃は精神医学という学問が全くまだ成立していなかったわけですが、今と同様に統合失調症は多分100人に1人位の割合で発症しており、そういう患者さんの多くは加持祈祷に頼っていたのです。当時の社寺の楼塔は「精神病の収容施設のごとき感を呈していた」とされています。

明治から昭和期の精神保健の歩みを見てみましょう。

明治7(1874)年 東京衛戍病院に精神病室設置

明治8(1875)年 京都癲狂院(日本最初の公立精神病院)設置

明治19(1886)年 東京大学医学部精神病学教室開設

明治33(1900)年 精神病者監護法(精神病者の保護に関する最初の一般的法律)

 この法律は私宅監置つまり座敷牢を許可しており、医療と保護の面ではきわめて不十分なもので、今はもちろん私宅監置は認められません。昨年の「精神保健福祉法」改定でようやく廃止になった保護者制度の起源は、この明治33年の「精神病者監護法」に遡ります。

明治44(1911)年 東大精神病教室による私宅監置の状況の実態調査が開始される

大正7(1918)年 東大教授 呉秀三「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」

 この呉秀三の報告書のなかに有名な一節があります。

 「我邦十何万の精神病者は実に此病を受けたるの不幸の外に、此邦に生れたるの不幸を重ぬるものと云ふべし」、これほど明治から対象にかけての、わが国の精神病者の置かれている状況は悲惨なものだったのです。

大正8(1919)年 精神病院法の制定

 呉秀三の報告書が元になって、「精神病院法」という法律がはじめて制定されましたが、まだ自宅監置は合法でした。これが廃止されたのは「精神衛生法」が制定された昭和25(1950)年です。私は座敷牢を見たことはありませんが、戦前から桜ヶ丘病院に勤めていた先生によると、「この辺にもあった。よく往診にも行ったよ」とのことでした。

【戦後~現在の精神科医療】
 日本の医療の現状:昭和30年代は圧倒的に結核が多かったのですが、現在は激減し、高血圧性疾患や精神科にかかっている患者さんが増え、5大疾病に精神疾患が入ることになりました。

診療所数の推移:内科外科など一般のクリニックの数はあまり増えていませんが、精神科のクリニックはどんどん増えています。私が医者になった昭和56年(1981年)は、精神科は開業しても商売にならないと言われていました。患者数が増えているからクリニックが増えている面はあるでしょう。しかし例えば桜ヶ丘記念病院は平日の午前中だけの受付で、敷居も高い。駅前のクリニックで夜7時まで開いていたり、会社の近くにあって帰りに寄ることができればハードルが下がります。クリニックが増えているから患者さんが増える面もあると思います。

入院患者の疾病別内訳:入院患者は少しずつ減っていますが、15年間で3万人しか減っていません。日本の精神科の入院数では統合失調症が今でも一番多いのですが、これは21.4万人から17万人に減っていて、多少、退院促進や地域移行が進んだのかもしれませんし、長期在院の患者さんは亡くなる方が増えていることもあります。また、統合失調症は若者の病気で大体20歳前後、遅くとも40歳までに発病することが多いので、若者の全体数が減ったためもあるでしょう。
 増えているのはアルツハイマーなど認知症の方です。統合失調症の入院が減って空いたベッドを、認知症患者が使っているという見方もできるのです。

病床数:日本は人口当たりの精神病床数が多く、他の先進国はすべて1960年代から病床数を減らしていますが、日本だけ流れと逆行するかのように病床を増やしてきました。他の国々は多くは公的な医療機関が精神科を担っていますが、日本は公立の精神科病院は殆ど無く、東京都なら都立松沢病院と国立精神・神経医療研究センター病院ぐらい。精神科のある公立の総合病院を含めても、公立の病床数は全体の10%くらいです。民間の病院は経営上、ベッドを減らせと言われても減らすことは困難です。また、我が国は病院に替わるグループホームやケアホーム等の受け皿、中間施設をたくさん作るという施策を取って来なかった。精神障害を持った方が利用できる施設は今でも足りないのです。   

近年の精神保健医療福祉施策の動向:平成16(2004)年「精神保健医療福祉の改革ビジョン」が出て「入院医療中心から地域生活中心へ」という基本理念が謳われ、長期在院者の地域移行がどんどん後押しされるようになりました。平成21(2009)年には「精神保健医療福祉のさらなる改革に向けて」が中間報告として出されて、「地域を拠点とする共生社会の実現」というスローガンがかかげられた。地域移行された障害者と健常者が地域を拠点として、一緒に支えあい助け合って生活していく社会を作りましょうということです。具体的方向性として以下が挙げられています。

1.長期入院患者の地域生活への移行、定着の促進

2.訪問診療、訪問看護などの在宅医療の充実

3.救急医療の整備、入院医療の急性期への重点化

4.これらの実現により精神科病床数の減少を実践

【桜ヶ丘記念病院の歴史と治療状況】

昭和6(1931)年 財団法人東京市方面事業後援会(現・社会福祉法人桜ヶ丘社会事業協会)設立・認可

昭和10(1935)年 議員会により精神病院の設立を決議。経営母体は民生委員の団体の都民連

昭和15(1940)年 桜ヶ丘保養院(定床250床)を開設(現在467床)

病院の概要:現在8病棟467床で、年間大体600~700人の入退院があり、全部が閉鎖病棟です。私が昭和56(1981)年に来たときは778床だったのですが、昔は4棟あった開放病棟を閉じていって、約20年で病床数を3分の1減らしました。開放病棟で処遇できる方は、むしろ退院して地域で生活したほうがいいのではというコンセプトで病床を減らして、結果的に閉鎖病棟だけ残ったわけです。閉鎖病棟にも任意入院で入っている方もいるので、なるべくどこかの病棟の鍵を開けたいと思っていて、今慎重に検討を進めているところです。
 社会福祉法人の病院は、全国千数百ある精神科病院の中で14箇所ぐらいしかなく、いろいろな義務を負わされています。たとえば生活困窮者に対する無料低額診療事業、経済的に苦しいが生活保護の基準までは行かない場合に自己負担分の減免が義務付けられていて、他の病院では経済的に入院を継続できないような方を引き受ける場合もあります。
 また病院としてPSW(精神保健福祉士)や作業療法士を、比較的早くから採用してきました。
 アメニティの点では、私が就職したときに比べると随分改善されました。以前は殆どの病室が畳の大部屋でしたが、今は全部の病棟がカーテン付きのベッド部屋になりました。畳部屋というのは結構便利で、もう1人入院が必要な時に、ちょっとずつ詰めていただくと、何とかスペースができたりしたのですが---。今はそういう運用は当然ながらできなくなりました。

下記は近年の医療展開です。

1989年 デイケアセンター完成

1999年 訪問看護ステーション開設

2008年 急性期治療病棟認可

2010年 病棟精神科救急入院科病棟認可

 現在、高齢の長期入院患者さんはまだ多く、それらの患者さんの退院促進対策として、ワンルームタイプの職員寮をバリアフリーに改造して、病院敷地内にサービス付き高齢者向け住宅を作りました。

 定床と平均在院者数:かつて778床一杯の入院患者さんが、現在は400人弱です。その分、外来患者は昭和60(1985)年に比べ4倍ぐらいに増えました。

 また、昭和59(1984)年の平均在院日数は1000日を越えていたのを少しずつ減らして、直近では190日まで減って、ほぼ東京都の平均のレベルになりました。

抗精神病薬単剤化率とCP換算投与量:日本は多剤大量療法が他国に比べると多いという指摘は皆さんもご存知でしょう。私の病院でもなるべく単剤化し、CP換算量を減らすことを目標にしていて、1996年には22.4%だった単剤化率を45.8%に、CP換算も945mgでしたが650mgぐらいになった。まだまだ目標には達していませんが、このように薬物療法の面でも少しずつ変ってきています。

入院患者の高齢化:高齢になる患者さんが増えています。私が就職した昭和56(1981)年頃は入院患者の平均年齢はおよそ40代でしたが、今年はもう70歳を越えました。運動会も昔は盛大で、棒倒し・騎馬戦・マラソンなど元気のいい患者さんが多かったのですが、数年前までは車椅子リレーとか何とかやれたものの、ついにできなくなりました。

 精神科の単科病院で高齢化が進むと、最大の問題は体の病気への対応です。糖尿や心臓などの身体疾患、癌、転倒転落で大腿骨頚部骨折など、年をとれば体の病気は増えます。精神科の病院は身体疾患の病院とは物理的な構造も違えば、マンパワーも違います。桜ヶ丘病院は医師が20名いますが、内科医は1人です。様々な身体合併症に対して、自院で対応できる場合はなるべくきちんと対応し、診られない場合は近隣の専門医にお願いするというのが基本方針ですから、近隣の総合病院やクリニックと日頃から連携していくことが非常に大事になってきます。

入院期間:平均在院日数が1~3ヵ月という短期の入院期間の方の割合が増えてきています。入院期間3ヵ月未満は、昭和60(1985)年は約6%でしたが、平成27(2015)年になると約30%です。昨年度に救急で入院した方の平均在院日数は50日を切るぐらいでした。ただどんな病気でもそうですが、何%かはなかなか良くならない、慢性化してしまう方がおられます。当院は歴史の長い古い病院ですので、そういう方がまだ沢山残っておられ、20年以上入院している方が15%、5年以上の方になると約50%という数字になります。

長期入院高齢者対策:先ほどもお話ししたように地域移行を更に促進させる方策として、当院では敷地内にサービス付き高齢者住宅を作りました。今あちこちに高齢者用の住宅施設ができていますが、値段が高いところも多い。生活保護の基準の方でも入れるぐらいの料金設定をして、実際に生活保護の方も入居しています。

 ただこれには賛否両論あって、施設内に施設を作って囲い込みではないか、病院と変わらないという批判もありますが、高齢の長期在院の患者さんは聞いてみると皆さん「退院したくない」と言う方が多いのです。「アパートを借りてやってみては」というと、「先生は私が若いときに退院したいと言ったら、ダメだと言ったじゃないですか。こんなに年取って、ここにいたいと言うのを、何で今さら退院しろと言うのですか」と。そう言われると「その通りです」と言うしかありません。そういう患者さんでも、「敷地内だし、なじみのスタッフにいつでも会えるから」と言うと「じゃあ、やってみようかな」と退院する人が結構います。当院ではこういった形の退院が現実的ではないかと思って進めてきました。

【入院か通院か】
 もともと日本の精神科の医療は入院に傾きすぎていました。たくさんのベッドを作って長期在院の方を抱えるのは、政策的な意味でも誤りだという指摘・批判があります。そこで世の流れは入院から通院へ、全国的にも私の病院も少しずつ入院病床は減って、外来の通院者数は増えています。

 原則的には通院治療が良いというのは、体の病気でも好きこのんで入院する人はいない。入院しないで済むならそのほうが良いと思うのが普通です。通院は、その人の社会生活を継続したまま治療ができますし、医療費も少なくて済みます。
 ですが、入院のほうが良い場合もあるわけです。普段の仕事や家族から隔絶され、違った環境に身を置く、家族から少し距離を置く、或いは仕事から離れてみる。そのことが治療的な意味がある場合もあります。
 そして精神科と身体疾患の場合とでは、入院の適用の違う面があります。身体の場合は入院といえば単純に入院です。ところが精神科に限って、「なに入院なの?」と、入院形態が問われる。精神科への入院は、精神保健福祉法に基づく手続きが決められていて、大きく分けて任意入院と医療保護入院と措置入院との3通りになります。本人が「辛いから入院したい」という任意入院は、一般的な入院に近く、医学的判断で決められます。

 問題は本人が「入院したくない」と言っても入院が必要な場合、或いは家族から見れば入院させたいという場合です。法的には医療保護入院になりますが、当事者と家族の関係などに影響が出てくる場合がある。精神科では、そういう関係性まで含めて入院の適応を考えなければなりません。
 どうしても入院治療が必要な、例えば法律の文言で「自傷他害の恐れがある」場合は、それを防ぐために入院の他に方法がない場合も実際にあります。
 つまり任意入院と措置入院の間は幅があってケースバイケース。通院のままで頑張っていくのが良いか、それとも一時入院したほうが良いか、主治医と本人と家族の方々とでそのつど決めていくことになります。
 もし、入院治療に準じたような濃厚な治療が受けられる仕組み、いわゆるACT (Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援)やアウトリーチがあれば、かなり重度の方でも入院しないで、地域での生活の継続を支えていけます。
 最近は「オープンダイアログ(開かれた対話)」が大変な話題です。フィンランドは福祉・保険に手厚い国で、本人でも家族でも窓口に「精神的に具合が悪い」と電話をすると、初発の場合24時間以内に必ず医師、看護師、ケースワーカーやPSWなど多職種のチームが訪ねて会話をする。場合によっては毎日続ける。すると急性期の統合失調症の人でも、全く薬を使わずに症状が良くなるという話です。今までなら確実に入院しかないような人たちでも、薬も使わずに良くなるというのであれば、皆さんも関心があるでしょう。今後、選べる医療の質によっても入院が良いか通院かは変ってくると思います。        ~了~

<質疑応答を省略します>

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

新年が明けた。今年は暖冬なのか、正月三ヶ日、いや一週間、冷たい北風も吹かず、温かい正月だった。

 そんな正月気分に浸りながら、フレンズ一月号を読んでいる方も多いのではないだろうか。今月の講師は岩下先生だ。新宿フレンズ、かつて新宿家族会と言っていた頃、常任講師として毎月講演を引き受けてくれた。その岩下先生が今回、日本の精神医療の過去を語ってくれた。

 明治期、精神障害者の住む場所は座敷牢が当たり前であった。あの呉秀三氏の報告によれば、当時精神障害者は約十五万人いたとのデータがあるが、これらの人たちが座敷牢で生活していたというわけか。

 時代は進み、医学が発展し、精神医療も他の医療に負けずいろいろ研究されてきた。が、しかし、現在の患者数はその二十倍以上の三百二十万人である。これはどういうことなのか。人口そのものが増えたにしても、二十倍というのは何とも理解しがたい。

 そして先生のお話は昭和期に移った。厚生労働省が出しているデータをもとに、様々な年次変化を示してくれた。傷病別の医療機関にかかっている患者数で、精神疾患が断トツに多い。さらに診療科目別に見た一般病院数でも断トツに精神病院が多い。先生の勤務する桜ヶ丘記念病院の近くにも精神科クリニックがあり、夜七時までオープンしてやっているとか。精神科も今後ますます体制を変えて、精神科への敷居を低くしていくことが必定だろう。

 二十年前と変わらぬ声、物腰、ユーモア、そんな先生と久しぶりに会うことができて、懐かしかった。ただ、今回は十二月ということからか半袖シャツではなかった。       嵜