精神障害を生きる~コロナ禍から学ぶこと~

新宿区後援・9月新宿フレンズ講演会
講師 なでしこメンタルクリニック院長・東洋大学名誉教授 白石弘巳先生

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【新型コロナの発生と社会への影響】
 新型コロナウイルス感染症について、今日まで約8か月。最初にメディアが「中国の武漢で原因不明の肺炎が発生している」と報道したのは昨年2019年12月8日。中国は、緊急告知を12月30日に行いましたが22日の時差があり、その間に世界に広がるのをもう少し防げたのではないかという批判もあります。世界に注目されたのは1月8日、WHO(世界保健機構)が新型ウイルスと認めた時からです。
 日本では神奈川で初めての患者が出たのが1月16日、一気に加熱したのは2月3日にクルーズ船が横浜に入港、感染者が相次いで船客は船内に足止め。テレビ報道で注目を浴び、オリンピックとの兼ね合いも云々されて、結果的に3月24日にオリンピックは延期。その後は速やかに4月7日に緊急事態宣言が出されて5月25日まで続きました。
 6月初旬に一旦収束したかに見えましたが、7月に第二波となって9月の今も東京では新規感染者が毎日100~200人前後。日本全国で300~700人近く発症、感染者数は今までに約7万人、約5%が死亡して1500人を超え、日々増えて収まっているとは言えない状況です。
 日本の社会でどういう影響が出たのか。4月に緊急事態宣言が出た頃には、「不要不急の外出をしないように」、「ステイホーム」「巣ごもり」というような言葉も出て、小池都知事が「買い物は3日に1回位、店がすいている時に急いで買って早く帰るように」と話したこともあったと思います。

【新型コロナウィルスとは】
 コロナウイルス感染症の治療にあたってきた医師によると、新型コロナウィルス感染症は呼吸器疾患の肺炎だけでなく、様々な臓器で炎症が起きたり、血液の凝固異常が見られたりという、全身性の疾患という認識に変わってきています。
 実際にこのウイルスはどういうものか。専門家によると、COVID-19と言われるコロナウイルス感染症の病原は、2000年頃に流行った非常に致死性が高い急性の肺炎SARSを起こしたウイルスと似ており、SARS-CoV2と命名されました。
 約80%は感染しても無症状か軽症で済みますが、約20%は重症の肺炎となり、そのうちの30%は致死的な急性呼吸促迫症候群となる。また血管炎や血栓症、脳梗塞、心筋障害などを合併するとともに、急性腎機能不全などの多臓器不全を起こすことが多いと言われます。亡くなった方はこうした障害が悪化したしたものと思われます。
 重症化する場合、ウイルスの感染後に、血中に炎症性サイトカインという物質が放出されて生じるサイトカイン・ストームにより急性呼吸促迫症候群が発生すると考えられています。

【正しく恐れる】
 
私たちは何ができるか、まず「三密」つまり「密閉・密集・密接」を避けることです。それにマスクと手洗いでかなり防げると思います。
 私たちは巣ごもり生活を要請されたわけですが、必要にして十分な感染防御対策を取り、日常生活の習慣を維持し、今の生活に意義を見出し、普段は自分のことにかまけていても、こういう時こそ、他の人を気遣ったりすることが必要なのではないかと思います。
 ストレスへの対応法などについて書いたものがありますので、「巣ごもり生活症候群にならないために 済生会」で検索してご覧ください。私の外来では、対面で通院する人が圧倒的に多い状況です。外来の患者は電話の再診が特別に認められていますが、「コロナウイルスが怖いから電話で」は1~2人でした。
 しかし9か月も巣ごもり生活が続きますと、こうした生活に耐えられなくなり、「コロナうつ」や虐待などの家庭内暴力、自殺も増えています。仕事がなくなって収入が減った生活苦もあるでしょう。
 それらに対する対策の基本は「正しく恐れる」ことです。その情報は誰が言ったのか、言った人がどのようなエビデンス・証拠を元にしたのか、その情報とは違う説があるか、そうしたことを吟味して自分でその情報の真贋、確からしさをある程度判断することが大切という新聞記事がありました。
 ネット上でも心理分野の人が「正しい情報に基づく」ことを前提として「自分にできることをやり、できないことには関わらない、完璧を求めない」ことで、不安や恐怖が減ると話しています。

【精神科医療と感染症】
 
精神科病院や、高齢者施設などでの感染症に対しては、これまでもインフルエンザ、ノロウイルス、疥癬、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)などが毎年のように起きており、普段からの閉鎖病棟が、それ以上に隔離・制限を余儀なくされることが繰り返されています。外泊や外出、面会もなかなかできなくなります。
 新型コロナウイルスは2月に指定感染症に指定されました。これは強制措置に依らなければ国民の健康に重大な影響を及ぼす病気で、鳥インフルエンザ、ポリオ、ジフテリア、結核などがあります。これらは確実に診断されていない疑似患者の段階でも措置の対象になり、健康診断を受ける、発症している場合には自治体の定めるところで治療を受けさせるという強制措置が取られることになります。
 コロナ感染症は、今どこの施設でクラスターが発生してもおかしくない状況と言えます。医療者は病院の中での患者発生の危機感を持ちつつ、国の方針に基づき、朝夕に熱を測り、消毒など所定の感染予防のための措置を確実にやるように努めています。
 精神科では4~5月は軒並み入院患者が減っています。本当だったら入院が必要でも、病院でのコロナウイルス感染を恐れて控えた結果かもしれません。
 私どもの精神科病院では濃厚接触者が何人も出て、病院の中で隔離をして入院を続けましたが、発症者は出ませんでした。ある精神科病院では患者が出て保健所に転院を打診したところ、「中でやってほしい」と言われたそうです。

【コロナ禍から学ぶべきこと】
 コロナ禍の精神症状への影響を私の診察室で見ると、不登校気味の高校生は休校や分散登校になった間は腹痛が改善していました。しかし負担が増えた人の方が多く、夫が在宅勤務になった統合失調症の妻は食事の支度が負担となって夫婦喧嘩が激しくなり、夫と出来るだけ顔を合わさないように自分の部屋にこもっていたそうです。発達障害の子供を持つ母親は支援学級に通えなくなって親子ともイライラが増し、アルコール依存症の男性はテレワークになってつい飲酒量が増えたと聞きました。
 私の経験はごく乏しいものですが、精神症状は環境に大きく作用されることが見て取れます。つまり、もっと良い環境を作れば精神症状は改善されることに通じます。
 しかし当面、私たちはコロナウイルスと共に生きていかなければならない。今の環境の中でどうしたら前向きに自分の出来る最善を尽くして生きていくことができるかが問われている。それは精神症状や障害があっても、なお前向きに生きる「リカバリー」という考えに通じます。
 最近『死にたいけれどトッポギは食べたい』という、韓国の気分変調症の人が書いた本が話題になっています。「死にたい」という気持ちは病状からくる。死にたい気持ちのある厳しいときに、「トッポギ(餅炒め)を食べたい」という気持ちに目を向けていく。問題の中で前向きに生きていくことです。
 そう考えると、この状況で自分たちがリカバリーしているかどうかを考えてみた方が良い。というのは、今日は新宿フレンズの久しぶりの例会と聞きました。私も半年に1回、「家族と専門家の交流会」を20年以上続けてきました。10月に区の公共施設を予約していたので問い合わせたら、通常の定員の半分以下、飲食禁止、感染予防の処置を講じる、そして全員の参加者の名前と連絡先のリストを作って、感染者が出た時には保健所に提出をするという条件が出されました。それを聞いて会を中止しました。
 精神疾患を持ちながらの「withコロナ」の在り方を考えると、1つは病気を持つ中で最善を尽くすこと。もう1つは、「人々と共に」です。理解をしてもらえない中でやって行くのは非常に辛い。コロナ感染症になって引っ越した人もいるのと同じようなことが、精神科の病気になった後に肩身の狭い思いしたことと重なる部分があると思うわけです。
 コロナウイルス感染症と精神科の病気は違うけれども、ともに問題がある中で人々との関わり方が重要な意味を持ちます。自粛警察みたいな人に追い詰められるようなことが起こるのか、それとも周りの人と上手く関わりを持ち、波風を感じることもなく暮らしていけるのか。
 地域包括ケアを国は進めようとしていますが、色々な人が地域にいるわけですから、それぞれの課題を持っている人々と緩く繋がることが大切です。コロナ感染症患者やその予防などの暮らしの状況も精神障害者の包括ケアと同じです。
 私は精神科の患者の治療という立場から物事を見るわけですが、人々が緩く繋がることが精神障害者の幸せを実現すると考えた時に、他の色々な課題を持った人、社会に暮らす多様な人たちともお互いに緩く繋がりあっていく。自分は精神科のことだけ、ある人は別の事だけとお互いが切れているのではなくて、もう少し他の人のあり様にも目を配りながら繋がり合いたい。結局目指しているところは、どんな課題を持った人とも緩く繋がるような社会を作っていくことに帰着するのではないかと考えているわけです。

【新たな繋がりのかたち】
 今までは繋がりと言えば地縁と言い隣近所の人が緩く繋がることでしたが、今はその繋がり方が多様になっています。コンピュータ社会になって、その繋がり合いの仕方に、パソコンやスマホのSNSなどをうまく使っていくことを考えていく必要があります。
 コロナウイルスでステイホームを余儀なくされましたが、今まで簡単に実現しなかったような事が次々と実現している側面もあります。例えば緊急事態でそれなりの補助金を出すことが出来たわけですから、今後とも必要な物は要求するべきです。大学や学校のインターネット授業やインターネット会議も当たり前になりました。学会の理事会なども全国から集まる旅費が不要なわけです。オンライン診療も今後に生かすこともできます。
 私はメリデン版の訪問家族支援の普及活動に関わっていますが、その基礎研修を3~4日、会場に集まってやるスタイル以外は想像もしていなかったのですが、今回オンラインで行うことにしました。オンラインの研修なら、全国から集まらなくてもできます。実際のセッションも、経験の浅い人がやっているのをオンライン上で指導者がやり方についてアドバイスすることができます。
 今までできなかったことが可能になったわけで、「必要は発明の母」と言いますが、必要に迫られてやったことの中にも良いものがある。
 この機会だからこそできたことが、精神科医療を変えていくきっかけになるのではないか。地域社会のありようを変える契機となるのではないか。コロナ感染した人が差別されている問題が起きましたが、異質なものを排除する論理は、精神障害の社会生活のしづらさ、差別の根底にもあるわけです。そういう差別を起こさせない社会を作るきっかけにもなるのではないでしょうか。
 心無いことを言う人も、自分でも問題を抱えているのではないか。自分のことしか考えられない蛸壺のような状況にあると思いますが、皆がそれぞれの悩みを抱えていると思えば周りの人への視線も変わってくるでしょう。
 人々が共にある社会、そこに必要なのは対話だと思います。結局、緩く繋がると言う背景にある考え方は、最近注目されているオープン・ダイアローグではないでしょうか。そもそも考えていることが違う人達が集まっても、すぐにはうまくいくはずがない。しかし交流して、会話ではなく対話、相手とその意見の交流をする場をしっかり作れば、お互いがお互いを理解していく機会が必ず増えていくはずだと思います。
  人々が幸せをより強く感じる豊かな社会は、ソーシャルキャピタル(人間関係の社会資本)に富んでいると言う人もいます。コロナ禍の中でこそ実現した良い部分、あらゆる人と出会える場所を増やして緩く繋がるということを意識して取り込んで、社会の良いモデルとして定着させていくことが、今後求められると思います。              ~了~

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記(50周年記念号に寄せて)

 新宿フレンズが誕生してなんと50年という年月が流れた。そして、小生が会長職についてから24年が経った。約4分1世紀だ。この間、様々なことがあった。もちろんそれは息子の病気の歴史でもあるわけだが、新宿フレンズにいては、私は何も判らないまま、幹部の斉藤さん、西山さん、熊谷さんの後を追いながら、精神の道へと入らざるを得なかった訳だ。それまで、精神の世界など全く想像だにしなかったから、主治医から指示があればその通り、何でも受け入れた。しかし、新宿家族会では先輩の方々から「諦めることです」と言われたが、この諦めるということについては認め難かった。そうして、4分1世紀、息子は完全ではないが一応一人立ちできるようになった。多少は親の力が影響しているのか。
 顧問医も岩下先生から水野先生に、そして山澤先生に変わった。改めて日頃の講演のために時間を割いて準備してくれることに感謝したい。また、顧問医ばかりでなく会場に来て口角泡を飛ばして語ってくれる先生方にもお礼を申し上げたい。先生方の一言ひとことが我々家族にとっては千金の値の価値がある。
 しかし、一方でいまだに「それが嫌なら私は診ない」とか「他の病院へ行ってくれ」と患者・家族に無理難題を押し付ける医師がいると聞く。精神科が隅に追いやられるのはこうした医師による態度による差別的発言が起因しているからではないだろうか。4分の1世紀精神の世界で生きてきて感じることは、患者は何一つ間違ったことはしていないことである。病気であることだ。私がこの問題について一つ言えることは弱っている者・つまり病気である者をいじめる位、人間として恥ずかしいことはないだろうということである。
 
 それにしても外は秋の風がさわやかに吹いていることだろう。金木犀の香りがどこからともなく漂っている今日この頃。これから何年生きていられるか。ま、精々健康に気を付けて、交通事故に合わないように、そして、愛ある日常をすごして行こうと思う、50周年記念号でした。