コロナ禍の中で拡大家族交流会

新宿区後援・1月新宿フレンズ講演会
講師 参加者全員

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 1月はコロナ禍の中、8月に会館閉鎖で出来なかった拡大家族交流会を開きました。少ない人数でしたが、その分、じっくりお話できました。
(最初はコロナ禍の話で盛り上がり、良かった事などお書き頂きましたが、ほとんどがお話に含まれており、入ってなかったことは盛り込みましたので、コロナの話題ともども割愛します。)
A(
母親) 子どもは訓練施設に入所中で、そこから近くのクリニックに通っています。「状況は良くなっているので、もっと前向きになって病気を受け止めてほしい」と言ったのですが、抗不安薬を続けていることもあって「自分は統失じゃなくてパニック障害だと思う」と言います。薬を止めて再発したこともあり、まだまだ受容できていません。『こころの元気+』などの本もどういう状況で読ませたらいいのか迷っています。
 3年前の入院時から、抗精神病薬2種類、抗不安薬、睡眠薬などずっと飲み続けていて心配だったのですが、他のお母さんから主治医は徐々に減らしてくれると聞いて安心しました。抗不安薬は減らしたくないと本人が言うのですが毎日は飲まなくなり、オランザピンも10から5?になりました。薬を止めると量が増えたり強い薬に戻ることを今日も話してきて「分かったよ」と答えますが、安心させるために言っているのかもしれません…。
 しばらく前に血液検査の結果を見たら、太ってはいましたが高脂血症と高血糖で数値を見てビックリしました。痛風や肝機能の数値も少し悪い。クリニックは検査だけで放置していたのかとショックでした。「何かあればお母さんに言ってくるけれど、お母さんにも先生にも結果はちゃんと見せなさい」と厳しく言いました。食生活もお料理も自分で週3回くらいはやっていると言いますし、甘いものを止めて少しずつやせて来ています。クリニックで受けているのですが心電図くらいはやってほしいなと思います。
(母親) 精神科に通院していると、お医者様に行っている気持ちになってしまうけれどクリニックでは血液検査だけだし、他の病気は分かりませんね。
A 自治体の健康診断を申し込んで書類は来たのですが、子供がやりたくないと言ってやらなかったのです。期限が3月までなので受けさせてみたいと思います。
 宿泊訓練施設の方からは、状態が良いので出ても良いですよと言われています。でも、急に不安になる事があって、それが怖くて出られません。「前の仕事に戻りたい」と言いますが、施設の人からは「少し目標が高過ぎる」と言われています。統合失調症じゃないと思っているので、出来るつもりなのかもしれません。
C(父親) 30代後半の娘は今地方にいて離れているのですが、一昨年に薬を止めて3回目の入院をしました。その後、治療に前向きになり去年、障害基礎年金と障害者手帳を取得しました。私が手続きしましたが大変でした。
 薬はレキサルティとジプレキサを服薬していて、抗コリン薬のビベリデンを飲んでいますが、止めても飲んでも錐体外路症状があってじっとしているのが辛いと言います。抗コリン薬も認知にはマイナスと聞いていて効いていないのなら止めたいと、ですから本人が納得しないと難しいと思います。
 本人は働きたくて医師と相談して、親もいろいろ施設を見て回って、あるB型作業所に決めました。「意欲を持って能力を発揮したらA型作業所のような待遇をしてあげる」とのことで、この前は1人でキムチを漬けたそうで、12月に6000円になってボーナスも貰えたと喜んでいます。親にも報告があるし、本人も喜んで行っています。本人の気持ちを大切にしながら、今年はA型に行けるくらいにサポートしていきたい。娘の元気な顔を見るのが楽しみです。
 家族会に来ないで1人だけで考えていると判断を誤るかなと思うので、家族会で交流をしながら進めていこうと思います。
A 私は、この病気になったら就職も無理、結婚も無理と最悪を考えていましたが…。
B うちは5年くらい妄想と幻聴があって部屋を真っ暗にして閉じこもっていたけれど、薬が合って寛解して、時間はかかったけれど就職もして結婚しました。寛解していた時に出会って、本人が病気のことは話したと言ったけれど、もう一度私からも話しました。
 その後再発もしましたから、もし「うつ病だ」なんて嘘をついていたら、「騙した」ということになってしまう。再発に気付いてもくれたし正直に話しておいて良かったと思いました。それでもびっくりしたと言っていました。でも結婚してそれがゴールじゃないから、すべて良かったというわけでもないですね。
D(当事者男性) 両親と私の3人暮らしで、データ入力の会社で働いていましたが失業しました。
 発症した当時、閉鎖病棟が刑務所みたいで犯罪者になったんだと思いました。どうすれば良いかと考えて、真人間、普通の人みたいになろうと思いました。でも、それまで勤めていた市役所をクビになり、いろいろ仕事もしたし、職業訓練校にも通ったけれど、履歴書が長すぎて企業の相手にされない。自殺したいけれど弱虫だからそれも出来ないです。
 誰だって自分が一番可愛いんだなと思います。うちの親は何もしてくれなかったし、祖母はたたりだと言いました。障害があると一抹の申し訳なさを感じながら生きなくちゃいけない。テレビの評論家なんか見ていると、資本主義の勝ち組になるには要領よくやらなくちゃいけないのかなと思いますね。目標は家賃が払えるようにしたいが、仕事をクビになればお終いだから。
E(父親) なりたくて病気になったわけじゃないのだから、申し訳ないなんてことは無い。精一杯やっているのだからね。
津久井やまゆり園の犯人が「障害者はコミュニケーションが取れないから、この世に要らないんだ」と言いましたね。あれについてきちんと説明してくれたマスコミは無いし、いま防犯管理の講習を受けている中で「自分の身は自分で守ってくださいよ」と言われて、そうするしかないかなと思う。
F(父親) いろんな勉強をしてきた人生そのものをズバリと聞いた感じですね。こんなに人生を問いつめて考えたことは無かった。強く生きているから凄いです。
E 子供が病気になって親父もいっぱい教えられましたよ。一つは主治医に挨拶に行ったら「ちょっと話しておきたいことがある。統合失調症になると多くの子供たちは親の悪口を言う。しかし、あなたの子供さんからは親の悪口を聴いたことが無い。一度も言わない。そんな印象が残っている」と褒めてくださって嬉しかったことです。
 もう一つは、「そのうち治るんじゃないか」とのほほんと構えていたら、兄に「これでは良くならないよ」と言われて車に無理やり乗せて病院に連れて行きました。入院させたとき「どこも悪くないのにどうして入院させるのか」と言われ、「気持ちは分かるけれど、親を信じて入院してくれ」と答えました。しかし2週間後に行ったら「ここの病院には僕と同じ人がいっぱいいるよ。やっぱり病気なんだ」と分かってくれた。いい感じで病気を分かってくれて、それ以来薬をちゃんと飲むようになりました。
 兄姉は家を出たので「僕も親元を離れたい」と、今は生活保護を受けてアパートで1人住まいして生活しています。親よりも兄弟の方が良いモデルになるんですね。日中は病院の朝食コースに行って訓練を受けて、いまは就労支援のB型作業所に入って、張り切り過ぎてダウンしたりしながらも続けています。
 50歳も過ぎて人生も終わりに近づいて来たなと思ったら子供が病気になった。地元の家族会で「勉強するならフレンズが良いよ」と言われて両方に入っています。子供のおかげで悩みながらも次のステップを考えて一緒にやっていきたいです。
F(父) 娘は統合失調症20年で3回入院しており、昼間は事務所で手伝だったりしているのですが、夜中に大きな声で自分を責める言葉を交えながら独語で口論しています。一時はこんなに一生懸命、真面目に働いて来たのに、なぜこんなことに…と落ち込んだこともあります。でもこれが現実なんだと思い直して、何か子供のためにしてやりたい、何かがあった時にバックアップしてやろうと思っています。でも実際に何をしたら良いかが分からないんですよ。仕事もあって、つい家内に任せてしまいます。
F(母親) 家業で忙しい夫が、こんなに協力してくれるとは思っていなくて、このフレンズには極力一緒に来てくれるので有難いなと思っています。
 娘は家業を手伝って頑張ってくれていたのに、動悸と震えが来て統合失調症と分かって大変なことになってしまったと思いました。一昨年くらいは幻聴や妄想が強くて「彼と結婚する」「彼が迎えに来るから」と身支度をして待っているんです。それが吹っ切れたのか、去年は落ち着いてきました。親としても娘を客観的にとらえて過ごせたと思います。
 社会とのつながりが薄いので、もう一歩先に進めるといいのですが本人がその気にならないと動きません。独語やバンバンと壁を叩く音が聞こえてくると、本人は辛いのだろうなと思います。
 薬は本人がお薬カレンダーに入れてきちんと飲んでいます。医師は親の意見も聞いてくれるので、受診前には家での様子を電話やメモで前日にお知らせし、一緒に行って本人に言っても良いことは話しています。シクレストを飲んでいますが、必ず定期的に血液検査もしてくれていて、少し血糖値などが高くて内科と連携してくれています。良い医師で本当に助けられています。
A 内科で「精神科にかかっている」というと「そちらで診てもらってください」と言われてしまいます。総合病院の精神科が良いかなと思ったのですが、うちの子は電車やバスに乗れない状況だったので、近くのクリニックになったのです。
G(当事者女性) 調べないと、病院によって入院病棟がぜんぶ閉鎖だったり、開放で困ったり。拘束を長くされたという大学病院もあるし、人によって閉鎖はきついです。一方、子供をどこかの病院に入れちゃってホッとして、出来るだけ長く預かってもらっておこうという親御さんもいるんですよね。
どこの病院が良いとか言いますが、あまり当てにならない。子供が措置入院になった病院は、パソコンで調べた時もケースワーカーさんもきれいで良い病院ですよって言われたのですね。でも、子供に会った後「薬が効いてないみたいです」と看護師さんに言ったら「今日診察だったから1週間後になります」って言うんですよ。先生は私が話しても横を向いてちゃんと返事もしないし、子供もあの先生は嫌だと言って、もうあの病院には行きたくないと言います。検査は色々したがりますが、会計用紙には治療内容も何も書いてない。きれいな病院が良い病院とは限りません。
その病院は私も入院したけれど、説明もなく薬がいっぱい出ました。薬をたくさん飲んでくれた方が病院には良い患者ですからね。
F(父) 当たり外れというか、医師とは出会いですね。
ある病気で1年に1回の検査で良いというのに、医師が変わったら3か月に1回の検査になって、大した変化も無いし、もう少し別の検査をしたいので紹介して下さいと言ってもなかなかしてくれませんでした。
家族会もいろいろで、「親が死んだらどうしよう」と言っているばかりの会もあるけれど困らないようにしておかなくちゃ。このノート「親心の記録」を取り寄せたので使ってください。無料で送料だけ負担で記録が付けられます。
B そのノートは親に何かあった時だけでなく、自立する助けになりますね。
F(母) 最初は障害者手帳を取るのを嫌がり、今は持っていますが使おうとしません。
A 障害者手帳は入院中に親が手続きをしました。手帳があると都営交通機関は無料になりますが、写真付きの手帳を見せるのが嫌という人もいるようで、パスモみたいな他者には分からないカードもあって都営の定期券売り場で発行してくれるので、利用すると良いですよ。
障害者らしい人がパッと手帳を見せて乗っても、周りも運転手さんも気にしてないんですよ。本人だけが気にしている。娘は「半額になったよ」ってあっけらかんとしていたので、周りがあまり気にすると却ってよくないかもしれませんね。
東京都はやっとカード化したんですよ。手帳は2年更新で、生活保護は1年毎です。
A 年金の申請書類を見ると、食事も1人ではできないとか、何もかもできないでないと、年金が降りないそうですね。本人がショックかと思って。
食事は、1人で買い物に行ってつくるところから出来るかという意味ですよ。
B うちは2回入院してその後、薬を中断しているので事後重症になると思うと言われたけれど、社会保険労務士に頼んでいろいろ調べて遡って貰えました。
F(母) 最初は「私は病気じゃないから手帳は要りません」と言っていたのですが、この前の入院で手帳を取って、年金などは親が手続きしました。
A 一度再発すると、薬は一生飲まなくちゃならないのでしょう?
D 再発を繰り返すと、症状固定といって症状が動かなくなることもあるらしいです。
何回も入院したり、薬を沢山飲んでいると回復が難しいこともありますね。
医師によって薬を一杯出すところと、適量で出してくれるところがあるんじゃないですか?
G 親が若いうちに相談支援事業所に行って、訪問看護を受けるとか子供が自分で相談出来るように、相談支援とつなげておくと良いと思います。
F(母) 週1回訪問看護を受けていて、クリニックに通院していてカウンセリングも受けていました。訪問看護もカウンセリング同様に親はお話を聞いちゃいけないのでしょうか?
本人は話を聞いてもらって「そうなんだ」と言ってもらえるのがいいんですね。話し相手がいると違う。私はクリスマスもお正月も、今年は1人じゃなくて良かったと思いました。
精神の場合、親に話せないことを話すというようなこともあるみたいですね。聞かれたくないこともあるけれど、たまには「今日はお母さんも入っていい?」とご本人に聞いて、お子さんの承諾の下で話をしたり聞いたりするのも良いかもしれませんね。
F(母) 訪問看護師さんからは「親御さんはご存じないかもしれませんが」と、メッセージが入ってくることもあり、電話でいろんな話をすることもあります。
G 訪問看護は、同居ならお子さんが会わなくても親御さんがドアを開けて話せますが、一人暮らしだと、ドアを閉めて出てこない人もいるので困ることもあるんですよ。入院しているとラクはラクなんですが3か月で退院ですね。身体や知的の人の地域移行は進んで来ているんですが、ヘルパーさんや訪問看護でも精神は突然怒り始めたり、ドアを開けてくれなかったりで、難しい、やりたくないという人もいるんですよ。
H(父親) 連れ合いが統合失調症気味ですが手帳は取ってないんです。彼女がガンになり、看護婦には「精神的に弱いところがあるので」とは伝えてあるものの、手帳もなく抗精神病薬も飲んでないので医師達は精神病者と思っていなくて、抗がん剤治療を行っています。抗がん剤治療は点滴の注射針を外して液漏れすると劇薬ですから、肌が荒れるなどダメージが大きいのですね。点滴が長時間なので、治療時は拘束の誓約書は書かされています。医師からは精神障害者には抗がん剤治療は出来ないと聞いています。
抗がん剤は普通の人でも具合が悪くなるし、点滴を抜かれたら皮膚が酷いことになるので、拘束はやむを得ないのかもしれないですね。
長生きになって、ガンも当たり前になってしまいましたね。
精神科の通院だけで安心するのでなく、やはり毎年ガン検診や健康診断を受ける必要がありますね。
精神障害者がガンになるとこんな障害もあるのかと改めて感じましたのでお話しました。                                    ~了~

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 コロナ禍が依然続いている。そんな中で東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会森喜朗会長が辞任した。女性蔑視の言葉が理由のようだ。「女性が多くいる理事会は時間がかかる」と言った発言だ。しかし、森会長は辞任の挨拶のなかで「私は女性に発言を促していた」と述べている。どちらが本当の事実なのか。前者は完全にアウトな発言であり、後者ではセーフ以上である。言葉とは難しい。特に森会長のような高い位置にいる人の言葉はちょっとしたことで引き合いにだされ、挙句に辞任にまで至るのである。

 さて、われら新宿フレンズでは参加者十名で拡大家族交流会が持たれた。コロナゆえに参加者が少ないが、こんな時に参加してくれる会員に頭が下がる思いだ。

 そんな参加者の言葉の中で羨ましい言葉があった。主治医から「統合失調症になると多くの子供たちは親の悪口を言う。しかし、あなたの子供さんからは親の悪口を聴いたことが無い」と言われたという。こういう親子の関係とはどんな風に作られるのであろうか。きっと親も子供も勉強しているのは確かであろう。それも、薬についてとか、医師との対応とかでなく、日常の中で培われた結果であろう。

もう一人、病気の息子さんを入院させて二週間後に行ったら「ここの病院には僕と同じ人がいっぱいいるよ。やっぱり病気なんだ」と分かってくれた。と本人が納得してくれたと言う。そして、薬をきちんと飲むようになったとも。これも普段の親子の関係が何となくわかるような気がする。

斯くいう私も最近息子との会話で「君の人生の相談には乗る。だが人生の提案はしない」としている。もうそんな歳だからだ。それも親子の教育関係ではないか。               嵜