拡大家族交流会

新宿区後援・8月新宿フレンズ講演会
新宿フレンズ参加者全員

今回は全文紹介しています

 今年も恒例の拡大家族交流会がやってきました。コロナ禍の中、遠くから近くからなんと19名の会員が集まってきてくれました。毎年テーマを決めて開催しておりました拡大家族交流会も、今年は特にテーマは決めず、とにかく2班に分かれ、討論を行いました。班のリーダーは役員が務め、そして約2時間のフリートーキングの後、参加者全員の声を聞きました。では、全員インタビューからご報告します。

司会:それではこれから全員インタビューに入ります。では1班から、総論と各個人のインタビューをお願いします。

1班【病識がないという困難】

リーダー1(母親):このグループで話題になったのは「病識がなくて幻聴・妄想を信じる」、「通院・服薬が難しくて困る」という問題でした。

A(父親):30代の娘で、統合失調感情障害(統合失調症と気分障害の症状がある)です。IT関係の会社で仕事に追われていた20代半ばに発症、それ以来2回入院しています。

 最初の入院時、リスパダール6?になった時には「もう副作用に耐えられない」ということで退院させました。私たち親が「精神薬は体に良くない」という本の見解に触れたこともあって減薬して、仕事もある程度復帰して働いていたのですが、結局、入院した病院に2回目の入院をし、やはり薬の量が多すぎて退院して、今に至っています。
 今の最大の問題は、幻聴と妄想で、それがあるから働けない、という事です。これを取り除ければ、仕事をしたいという本人の希望が叶いますが、そこまでに行っていないというところです。

リーダー1:幻聴はなかなか取れませんが、症状には今のところ原則は薬と対応です。服薬量は必要最低量といわれます。対応薬についてはフレンズで繰り返し取り上げており、会報誌8月号にも山澤先生のご講演を掲載しました。また、対応もSST や認知療法などの講演をしてきましたので、HPの「講演会録」が参考になればと思います。

B(父親):30代後半の娘は地方住まいですが、3回目の最後の入院時に、母親の腕を噛んで神経まで傷めてしまいました。入院してしばらくたってから「お母さん、腕をどうしたの」と尋ね、「自分は母親を傷つけてしまった」という思いから、それまで薬を飲まなかったのに飲むようになりました。今はきちんと服薬して、自分でコントロールできています。
 週に1回は病院のデイケアに、週2回はB型作業所に通っています。作業所では「頑張っている」という評価をもらい「市役所職員の障害者枠を受験してみては」と声をかけられましたが、本人は体力的に自信がなく、今回はパスしました。
 私たち親も高齢になって来たため、サポートも限界があると自覚してきたので、本人には何とか働きたいという意欲はあります。ただ、そこまでは体力的・精神的な力がないことも自覚しているので、親としては無理をして再発するよりも、ある意味ではこれで良いという気持ちがあります。

C(母親):息子は40歳です。数年前に統合失調症で入院し、退院したら昔のおとなしい息子になって帰って来ました。就労支援の力を借りたりして、今は契約社員で働いています。
 仕事は真面目に休まずに行っており、朝早く起きて自分で身支度を整えて、食事も風呂もちゃんとしています。しかし、段々と様子が激しくなって荒っぽくなってきており、半年くらい医者に通っておらず、薬を飲んでいないと、最近わかりました。
 今の仕事は障害者枠で雇用されており、障害があることを証明するものがないと継続できないので、どうやって医師に診せれば良いのか、最初は無理矢理に連れて行ったのですが、今は無理にはしたくないので相談しました。こちらで得た意見では、「そんなに本人任せにしないで、親が良く見てフォローしたらどうか」というもので、病識が無いので本人任せだけではいけなかったと、つくづく思いました。

D(当事者女性):私は現在60歳代で、父は他界し母は90歳を越えました。今は寛解しているので、統合失調症の友達と文通によってピアサポートをしている形です。
 11歳で睡眠障害を患い、17歳でうつ病、31歳で統合失調症を発症しました。今まで3回入院しています。フレンズのみなさんのお話を聞いて、私の両親がどれほど心を痛めていたのかを今になって身に染みています。病気になると、自分がどうしようもない人間だと落ち込みましたが、ここでは家族の会員が熱心に私の話を聞いてくれますので、「役に立てているのかな」という印象が得られ、貴重な機会だと思っています。

E(母親):娘は40歳代です。統合失調症になって17年経過しましたが、当初から消えないのは幻聴と妄想です。入院した後など「お母さん、こんなにすっきりしたのは久しぶり」と言いながら帰ってきて、本当にいつもの穏やかな娘に戻ったこともあり、そういう状態に落ち着いてくれるのかな、と甘い考えでいたのですが、未だに病識が持てません。
 現在、4週間に1度の外来通院、訪問看護が週に1回です。訪問看護が来る時に前もって起こしに行くと、寝言なのかどうか、幻聴も妄想も寝ていてもあることを思うと、とても心が痛くなります。
 リスパダールは良い薬と聞きますが、服用中は歩くこともできなくて本人には合わないと、シクレストの舌下錠に変えて何とか落ち着いています。外来では医師と普通に対応できているので、「これだけ落ち着いているのなら、良いではないか」と言われ、「もし薬を変えるのであれば、入院時がチャンス」と言われたこともあります。幻聴や妄想を抱えながらも、最初はめそめそしていたのに、今は本人が立ち向かう感じで、以前よりも逞しくなったと思います。 
 我が家が小さいながらも会社を営んでおり、本人がそれに甘えたとしても会社に来て働いてくれるのが嬉しいです。でも親亡き後のことを考えると、1歩外に出て週に1回でも良いから社会に繋がりを持てるような態勢を取れて行くと良いなと思っています。本人がその気がなければ難しく、徐々に色んな人と関りが持てるようにというのが私の願いです。

E(父親):夫婦でフレンズに参加するようになって5年が経ちました。いわゆる普通の病気では「薬を飲めば治る」となりますが、この病気は、親として何をしたら良いのかが本当に分からない状態で試行錯誤が続いています。ここに来て皆さんの意見や考え方を聞くと、少しは自分の中で安心できるのかなと通っています。

2班【1人暮らしや就労へ】

リーダー2(父親)では、こちらのグループもひと回り話してもらいます。

F(母親):子供は30歳代で20代中頃に発症し、入院も2回経験しました。私の家庭は子供と2人だけなので、子供は親が生きているうちに自立したほうが良いのではないかという保健師たちのアドバイスをもらい、現在アパートを借りて1人で暮らしており、生活保護の申請をした段階です。
 状況としては、薬も長い間、多剤で飲んでいましたが、今やっとオランザピン(ジプレキサ)単剤に切り替えました。ただ症状としては、だいぶ落ち着いているものの、まだ外出時には必ずサングラスをかけています。「何で?」と聞くと、「周りの人が自分を見ている、その目を見るのが嫌なので、サングラスをかけている」とのことでした。
 今日のグループミーティングで「発症時はどうでしたか」と聞かれましたが、「回りの人がニヤニヤしている」みたいなことを言っていたので、やはり症状がはっきり治っていない、まだまだ陽性症状が残っているのかなという段階です。けれども、それでもアパートに住み始めた時、身の回りの物は全部娘が自分で揃えていました。できないと決め付けていたところがありましたが、できるのだということが今やっと分かりました。
 私は子供の1人暮らしは、親は見守ることで手を出さないようにして行こうかなと感じています。まだ1人暮らしは始まったばかりで訪問看護は入っていますが、これから就労支援など他の支援を探さなくてはなりません。少しずつ進んでいければ、というのが今の親の思いです。

G(母親):発症が20代前半で、勤めて1年目です。「会社で盗聴されている」ということで会社から連絡があり、意味が全く分かりませんでした。この病気について勉強してから何となく分かるまでに、1年2年、あっという間に経ってしまいました。今考えれば、もう少しベースに知識があれば、もっと早く動けたのかなとは思いました。
 今も病識が無く、医療にまったく繋がらないのが悩みで、毎日ハラハラドキドキです。問題行動も沢山あり、でも「自分は病気ではない」というので、親が手を出せません。今の時代、社会的には自分からでないと治療に繋がらないのが問題と思います。
 本人の意志を阻害する訳ではありませんが、とにかく治療に繋がって素人ではなくプロに介入して欲しいのですが、今の制度ではすごく難しいです。
 以前1回入院してはいるのですが、医師にも知識がある方と無い方とあるのを実感しています。薬で抑えれば、症状は抑えられますが、病識がない以上、薬を勝手に止めてしまう訳で再発します。そうしたことまで医師はフォローして欲しいです。
 今は、イライラ状態で私に当たってきて、今朝も6時半くらいにメールで目が覚めました。「お母さん、家から出ないの」という内容で、すごく恐怖です。このまま薬を飲まないと問題行動に戻ってしまう可能性が大きいので、私はいつ通院できるのだろうとハラハラ、困った、何か手を打てないかと思っています。
 本人が病気を認めていない以上は、治療は難しい。仲間というか病気になっても自分の人生を歩んでいる人がそばにいれば、見方も変わるのではないかとピアサポーター制度に期待しています。

H(母親):30代前半の息子が、大学3年生の時に発症、卒業した後はアルバイトや派遣で働いても、すぐにクビになって何種類か仕事をして13年が経過しました。
 ふと気づいたら、去年の5月から薬を飲んでいないことが分かりました。機嫌が良い時は話しますが、後は部屋に引きこもって夜中に起きてご飯を食べたりするので、話をするチャンスがなく「薬は飲んでるの?」と聞くと心のシャッターが下りて、また2、3日姿を現さなくなったりします。顔色を見ながらも、気にせずに伝える必要のあることだけは伝えています。

I(母親):娘は大学受験期の秋に発症しました。今は30代です。それまでに入退院を繰り返し、薬も飲んだり飲まなかったり。飲まないとやはり再発して、再発するたびに症状が重くなっていったという状況です。
 約3年前に就労支援センターに通い始めて、今年に入ってからオープンで仕事を紹介され、そこが娘に合っていて今は楽しく働いています。私たちもやっと光が見えて来て、自分らしい生活を始めている最中です。私たち親が生き生きしていると、子供にも良い影響があるのではないかと思います。
 この先はどうなるか分からない、なるようにしかならないとも思いますが、親が亡くなった後のことを少し知りたいなと思っています。

J(男性当事者):初めて新宿フレンズに来たのは、2010年頃だと思います。50代になり、父は80代で要介護3、認知症で激しく物忘れします。母親も80代になり、足がだいぶ弱くなったと文句を言っています。
 約30年前の冬に周りの人が自分の事をニヤニヤしながら見ているとの感じがあり、その年の5月に勤め先で発症して閉鎖病棟に入院しました。クロルプロマジンをずっと飲んで副作用で眠気が出ました。現在までクローズドで働いてきましたが、今回初めて障害者枠で就職活動をして、もしかしたら10月から仕事があるというところです。それなりに努力して、今はセレネース、ドグマチール、レキソタン、アキネトンを飲んでいます。
 病気には「なり損なんだな」「なったら負け」と思います。1年契約で勤めた会社で「存在が迷惑」と言われました。今は、そういうことは言ってはいけないみたいですが、私は「どうやったら、迷惑でない存在になれるか」と真面目に考えたりしました。罵声を浴びるくらいは当たり前なんだと思い、親に対して申し訳ないことをした、死ぬまで薬を飲むという無期懲役判決なのだと思います。
 以前、障害年金を申請して非該当となったものですから、再申請をしようとして自分のプライドが傷つくくらい申出書を頑張って書き、「何もできません、自殺したいです」と書こうかなと思っています。

K(母親):初めて参加しました。30代の息子の発症は大学生の時で、ちょっと辻褄の合わないような話をしたので、私も少しおかしいなと思い、それから1か月半後には、医院に無理矢理連れて行きました。それから1度も薬を切らしたことがなく、本人は「いつまで薬を飲むの」と言っていましたが、薬が少量だったこともあり1度も飲まない期間はなく、入院もしていません。
 ただ、陰性症状というか、1日に20時間くらい寝たり、めまいや吐き気などの症状が出たり、大学は留年しながらもギリギリで卒業しました。しかし、これでは仕事はできないと思い、本人ができることを少しずつさせています。今はパソコン教室に通い、資格の勉強をし、社交ダンスなども、数年の間、お金をかけてでも取り組ませていました。
 自分が納得できる仕事がしたいと本人は何とか頑張って通っていたのですが、それで仕事ができることもなくて現在に至っています。その間、就労支援にも行きましたし、2か月通ってアルバイトもしましたが、体力的にきつかったり、上司から注意を受けると「もう辞めたい」とすぐに辞めました。今は歌が好きなので音楽で仕事ができればと、マンツーマンの歌のレッスンを受けたりなどしています。
 状態が良くなるにつれて自分は仕事ができないのかと感じ始めて、今は迷いが凄く多いです。「これからどうしていこう」「何の仕事をしよう」とか話し出すと、夜の遅い時間まで家族3人で話をします。
 病識の事ですが、かかりつけ医は、本人に1度も統合失調症と伝えたことはありません。私は、最初の段階で「統合失調症ではないのですか」と言ったのですが、医師は「まだ診断はできない」と答えて、同じ医師に10数年かかっています。何度か医師を変えようかと考えていたのですが、医師は薬をもらうだけと考えて、あとは自分たちでどうにかしていかなければならないと思っています。たまたま就労支援で、精神保健福祉士で公認心理師の方と知り合って話をしたことが、本人にとっては薬になったようですが、今年は転勤で地方に行ってしまいました。
 本人は、誰か信頼できる人が欲しいようです。だんだん自分は統合失調症と病気を受け入れつつありますが、「今の状況をすべて受け入れると自分の心が乱れる」と言います。「納得できる仕事をしたい」「嫌なことは嫌になる」と常に口にしています。どんな仕事をしたら良いのか、どう生きて行けば良いのか、それらの迷いにどのように答えて良いのか分からないので、こういう場で他の人の色んな考え方を聞いて、先に繋いでいきたいと思っています。
 もし、「ここの医者がよい」「ここの病院が良い」という医療情報がありましたら、教えて欲しいと思っています。本人も、常に医師を変えようと言いつつ変えていません。専門の医療機関にも2回位、紹介状を書いてもらって2年ほど前に行ったことがありますが、「心理検査は受けたくない」とか色々と細かいことを言い、結局通えていません。薬は自分で飲み続けると言っているので、どなたかよい医師がいたら教えて欲しいと思っています。

司会:皆さんの話の中で、気になったことや、この人に聞きたいという事はありますか。

リーダー1:今、医師探しの話が出ましたが、病院情報はネットに口コミが沢山出ていますが、どこまで信頼できるかがよく分かりません。
 それで、その地域の家族会に聞くのも一方法です。「みんなねっと」(03-5941-6345:相談室は03-5941-6346:水曜日10~12時13~15時)で都道府県連の電話を聞き、そこから地域の家族会を聞いて連絡できます。「みんなねっと」のHPには、都道府県連の連絡先も出ています。
 それから、「精神医療人権センター」でネット検索をすると、東京、神奈川、埼玉、大阪、兵庫のセンターが出てきます。そこに病院事情を問い合わせると何か分かるかと思います。「大阪府内の精神科病院の情報」というページを持っているところもあります。
 また、『こころの元気+』という雑誌の購読会員は病院情報を見られるようになっています。ただ、件数が少ないです。出版元のコンボ(地域精神保健福祉機構:047-320-3870:平日9:30~午後17:30)をネットで検索してみてください。
 同じ病院でも大きな病院になると、担当医師によります。訪問看護師でも保健所の保健師でも、自分で相性の良い人を見つけるしかないです。参加の方から「病院の面接を3回やって決めた」という話が出たのですが、「病院は自分たちが選ぶもの」という考えで、「なるほど」と思いました。やはり、自分で病院に行ってみて、合うとか合わないとか、この医師の感じはどうかとか、ということを受け止めて行く事が大事だと思います。
 新宿フレンズの50周年記念誌『心の病気の回復は家族の学びから』(2200円・ラグーナ出版099-219-9750???FAX?099-219-9701)を6月に出版しました。最初に短いご挨拶、第2部が父母・兄弟・子供・当事者会員の体験談を10編、そして中心となる第3部が今までの約250編の講演録の中から皆様に役立つものをと23編を選んでまとめたものです(会員用の残部があれば会員価格でお求めいただけますのでフレンズにお確かめください)。
 病院や医師を探すに当って、この本の中で水野雅文先生と中村ユキさんが、それぞれ医師の立場、患者家族の立場から「良い主治医の選び方」(P73~76)、「病院の良し悪しと回復」(P202~205)を書いています。「来て良かったと思える」、「必要な検査を定期的にして、体の健康にも気を配る」「通院患者さん全体の様子」「初診で当事者の話をゆっくり聞く」など、詳しく分かりやすいので参考になさって下さい。
 フレンズは今、偶数月の「昼の会」で山澤先生の講演会だけにしています。コロナ禍でお願いした先生をお断りしなくてはならないことが続いて、外部からの講師はコロナが収まるまでは難しいのです。また、残念ながら夜の会も中止しています。そのために会費は倍の期間にしています。ホームページ左の「会員情報」で、ご自分の会費の状況をお確かめください。ワクチン接種が進んでコロナが下火になったら、また元に戻せるように願っています。

司会:東京都の精神医療福祉の総合情報誌『道しるべ』が何冊かありますので、必要な方はお持ち帰りください。また、さらに必要な方は「道しるべ 東京つくし会」で検索して申し込み方法を確認の上、申し込んでください。
 拡大家族交流会は他の人の問題や成功談、失敗談を聞くことによって得られる知識が非常に大きいと我々は認識しております。コロナ禍の中にも関わらず、こうして参加して頂いた方々には頭が下がります。どうか精神障害の辛さを吹き飛ばして頑張って行こうではありませんか。
 それでは、今日は終わりにします。皆さん、雨の中ご苦労様でした。くれぐれもコロナ感染症に気を付けてお過ごしください。                          

                                     ~了~

平成17年4月からの新宿家族会ホームページ「勉強会」の表示形式について

 新宿家族会では4月から「勉強会」ホームページの表示について、概略掲載とすることになりました。そして、「フレンズ」(新宿家族会会報紙)ではいままで同様、あるいはより内容を充実させて発行することにしました。これまで同様に勉強会抄録をお読みくださる方は、賛助会員になっていただけますと「フレンズ」紙面版が送られますので、そちらでお読みできます。
どうぞ、この機会に是非賛助会員になっていただけますよう、お願い申し上げます。

賛助会員になる方法    

新宿家族会へのお誘い 
 新宿家族会では毎月第2土曜日、12時半から新宿区立障害者福祉センターに集まって、お互いの情報交換や、外部からの情報交換を行い、2時からは勉強会で講師の先生をお招きして家族が精神障害の医学的知識や社会福祉制度を学び、患者さんの将来に向けて学習しています。
入会方法 

編集後記

 先日NHKが放送した「新型コロナと闘う精神科病院 最前線からの報告」という番組があった。その中で精神科特例を詳しく説明していた。わがフレンズホームページでは一昨年から「精神科特例を撤廃しよう」キャンペーンを張っている。紙版とWEB版で行ってきたが紙版は締め切った。WEB版のみ続けたが数が伸びなかった。ある人の意見では「もうそんな時代ではない」と、止めた方がいいという意見であった。しかし会では活動を続けた。 

 そしてNHKの番組が流れたあとWEBを見て驚いた。一気に数が増え、これまで千通にも届かず足踏み状態だったのが、「もう少しで二千五百人」という賛同者の数になったのだ。フレンズ役員でつくし会の理事でもある大山氏のつくしだより九月号では、精神病院の対応の悪さが報告されている。「X病院でクラスターが発生。床ずれでお尻の骨まで壊死している患者が搬送された。満室状態で隔離する部屋がなく感染が広がった」等々。まだまだ日本の精神医療は低い位置に置かれているのだ。

 話変わって、これも先日さくら会の会報紙を読んだあとの出来事。渡部伸講師「親なき後に備えて」を読ませていただいて私も考えなくてはいけないなあ、と感じて翌日会社に出た。リリン、リリン。フレンズの電話が鳴った。最近めった鳴らない電話であるけれど、相手は会員であった。「フレンズの情報の中で相続について何かありませんか」。当然私は昨夜読んださくら会の会報紙を勧めた。単に相続という問題に留まらず、精神障害者に合った相続について述べられている。私の場合、遺言執行者を決めておくことの重要性を痛感した。複数でもいい。法人でもいいという。そろそろ私にもお迎えが来る年頃になったからであろうか。        嵜